高桐院その1のイメージ

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 京都へ旅行に行く方からどこのお寺がお薦めですか?と尋ねられることがよくあります。どんな庭が見たいのかで答えも変わってくるのですが、「とりあえず」という感じで聞かれたら「とりあえず大徳寺」と答えます。大徳寺は20を超える別院と塔頭からなる広大な寺院のため、境内に一歩踏み入れば歩けど歩けど500年の時を遡ったような景色が続きます。朱の眩しい山門、立派な唐破風を持つ勅使門や重厚な築地塀、背景には巨木の群生や竹林、赤松林とスケールの大きさに事欠くことはなく、どこを歩いてもついさっき掃き清められたような緊張感が漂っています。

 肥後藩主細川家と言えば総理大臣も務めた細川護煕ですが、彼は第18代当主。初代をたどると戦国時代までさかのぼり、関ヶ原の戦いでも活躍した細川忠興(ただおき)に行き着きます。忠興の父親は細川藤孝(幽斎)で足利、信長に仕え、大名としての肥後細川家の礎を築くととともに和歌、茶道など文芸にも深く通じその時代随一の教養人でもありました。以前紹介した桂離宮の造営者、八条宮智仁親王も幽斎を師と仰いでいます。また公家のバイブルと言える古今和歌集にはその解釈について古今伝授と呼ばれる一子相伝的な継承スタイルがあるのですが幽斎はある公家の世継ぎが成長するまでその継承者でもありました。戦にも長けた幽斎ですが本能寺の変で、親友の明智光秀からの度重なる誘いを断り出家、隠居し息子の忠興に家督を譲ります。

タイトル大徳寺のススメ

 禅宗の一つ、臨済宗の一派である大徳寺がどのようにして今に残る繁栄を築いたのか。境内に散在する塔頭とそこに関わった人物を整理しながら歩いてみましょう。とにかくこのお寺では時代を揺るがせた多くのドラマが繰り広げられ、その舞台が当時のままに残されています。塔頭を巡り、教科書で習ったような歴史をおさらいし終える頃には境内の空気がより一層ピンッと張りつめた感覚を覚えるでしょう。それが大徳寺をお薦めする個人的な”京都の醍醐味”です。

 息子の忠興も親譲りの才能で秀吉、家康と天下者を見極める嗅覚は鋭く、関ヶ原をはじめ戦上手として名を馳せます。また父と同じく一流の文化人でもあり、父が和歌の達人ならば細川忠興は茶の達人で利休の7人の高弟である利休七哲の一人です。高桐院は細川忠興が叔父の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)を開祖として父親の幽斎の菩提所として関ヶ原の戦いの直後である1601年に建立しました。利休にゆかりの深い書院と茶室、そして細川忠興自らが眠る墓所には愛妻であるガラシャも共に眠っています。

今回は忠興とガラシャ、激動の戦国にあってあまりにドラマチックな二人の人生を振り返りながら庭を歩いてみましょう。

ページ内の写真については一部を除き「京都を歩くアルバム」からお借りしています。

紅葉と雪、なかなか目にかかることのできない写真をお貸しいただきありがとうございます。