桂離宮その1のイメージ

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 日本庭園の最大の特徴は自然の風景を再現することです。シンメトリーで庭に幾何学模様を描く西洋の庭と異なり日本庭園では限られた土地を最大限に活用し海や川、山や竹林を建物の目と鼻の先に現すことが最も贅沢な庭とされてきました。これは奈良時代に浄土を庭に再現することに端を発し、時代を経るにつれて宗教的な要素が薄れ、より自然の風景を凝縮することに力が注がれます。園内の各所に様々な風景を散りばめた回遊式庭園は数多く残されていますがその中でも桂離宮は群を抜いて繊細かつ大胆で、全体として凛とした統一感が貫かれています。回遊式庭園と言えば大名庭園ですが江戸の城下に残るそれらの庭園とは一線を描く公家文化の結晶が桂離宮と言っても過言ではありません。

タイトル桂の土地

 桂離宮のある土地は京都盆地の中でも桂川に面し、東には比叡山、西には愛宕山と緩やかな山の連なりを臨み、山紫水明の土地として古くは藤原氏の別荘も建てられたことがありました。離宮は桂川の西岸に位置し、東西に約230メートル、南北に約218メートルの領域を占め、付属する土地を含めると約58,000平方メートル、およそ1万7500坪に及びます。

 17世紀の初頭、後陽成天皇の弟にあたる智仁(としひと)親王によって造営されました。智仁親王は当初子供に恵まれない豊臣秀吉の猶子(養子のようなもの)となったもののその後秀吉に子供が生まれたことから八条宮家(はちじょうのみやけ)が誕生しその初代となります。智仁親王は細川幽斎に師事し古典文学、漢学、絵画、琴、生け花、茶道を嗜む大文化人で、その才能は息子にあたる八条宮二代目親王智忠(としただ)親王にも受け継がれます。

 

 二代目を継いだのが12歳と若く、しばらく離宮は荒れますが再び智忠の手によって再建が進みます。宮家であるため財政は潤っていたものの加賀藩主前田利常の娘との婚姻によりさらに強化され増築、改修を重ね今に残る形を整備しました。親子二代にわたる類い稀なセンスと時代を動かした武将による強力なバックアップ、どちらを欠いても今の桂離宮は存在し得なかったはずです。

 回遊式庭園の醍醐味は宛路を進むごとに移り変わる庭の景色です。高い生垣を抜けたり、橋を渡る度に全く異なる風景が眼前に広がります。桂離宮は特にこの景色の移り変わるポイントに趣向を凝らしておりさっきまで見ていた風景を一瞬で忘れてしまうような印象深いスイッチが随所に仕掛けられています。桂川から引いたふんだんな水と意匠を凝らした書院、茶屋建築群が大きな役割を果たしますが、物語絵巻のようにめくるめく移ろう景色を宛路を追って見ていきましょう。